アートと天才

昨晩のBS・歴史館、桶狭間の戦い織田信長について、
印象に残った言葉
「天才は本質に直ぐに到達する」
「戦さはアート」


そして、以下の様なメールをいただきました。
日本橋の小網町の米問屋に「米炊き」のおやじがいた。
そのおやじは、月に五度ほど、主人の許しを得て、外出をする。
主人は、ふと疑問を感じて、手代に後をつけさせると、諸侯のやしきに行き、裏門から入るとき、門番たちが土下座して、迎い入れ、内玄関では取り次ぎも懇ろに案内されるのを見る。
手代はオドロキ、帰宅して主人に報告。
おやじが帰宅し、早速問いただすと、
「雪山」という「書」の大家で、門弟の所へ指導に行っていたのだ。
そこで、主人が「何故かかる身分にて鄙き奉公なし給ふや」と聞くと、
「成程我等は雪山也。年老て筆道指南も面倒也。氏族・親族もなく、
心安く世を見過んは、市中かゝる所にあれば人の知る事もなければ
と思ひて、「めし焚き」をなしぬ」と。

雪山(セッサン)は、東晋の書家・王羲之、元初の書家・子昂を師としていた。


20世紀の今となっては、こんな人は見当たらないネ。