清明上河図と平清盛

平清盛は出家して静海と名乗ったほど海を切り開き=音戸の瀬戸呉市警固屋)、
日宋貿易で富を築いた。
今年並んで見た、あの「清明上河図」は、
北宋の都・開封の繁栄した光景を描いたものと言われている。


数年前に訪れた松濤園と蘭島閣美術館 のある呉市下蒲刈町は、
古くから瀬戸内海の海上交通の要衝として栄えてきた。
御馳走一番館(朝鮮通信使資料館)では江戸時代最も栄えた様子を伝えていた。


以下はテレビから
それまでの平安時代は物品貨幣
平家は金属(宋銭)貨幣により物流コストを下げ、富の流通を活発にさせた。
日宋貿易では、宋銭は船のバラストとして使われ、その宋銭を溶かして鎌倉大仏、経筒を作った。


その後、歴史的な大飢饉がおき、貨幣経済から物品経済優位となり、
平氏は滅びていった・・・

源氏は東国であるため、交易ではなく、土地=米を基本とした。