方丈記と現代

方丈記鎌倉時代になって書かれたそうだが、
その時代は、
元暦の大地震、安元の大火、治承の辻風、飢饉など天変地異が数多くあり、
政治も混乱していた。
その平安時代末期、京(みやこ)の東、岡崎・京都会館周辺は、
院政が執り行われた白河殿のほか、法勝寺をはじめとする
6つの寺院(六勝寺)の大伽藍が造営され、栄華をきわめたが、
武家政権と対立、壮大な建物は鎌倉時代にかけて焼失し、
今は平安神宮や、建物自体がアートな、
アンモナイトも残る大理石をふんだんに使った、
クラシックな市美術館となっている・・・