治水
九死に一生を得た人のインタビューとともに、
各地の水害被害が放映されます。
以下はいただいたメールから、
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
各地の水害被害の映像が流される、
京都のマンナカを流れる市民の憩いの場『鴨川』も、
先斗町の納涼床の下を濁流が流れていた。
江戸時代暴れ川だったとは、ウッソ〜と思っていたが、
成る程と”ナットク”。
だから、伏見から京都への物資の輸送路として、
鴨川に並行して、
《高瀬川》が開削されたのだ、と言うことが分かろう。
春になると、高瀬川の両岸がさくらの花で埋まるのだ。
一人の豪商が、このような大事業を成し遂げたのだ。
スゴイ、スゴイ。m(_ _)m
いま、こんな社会貢献のできる事業家はいない。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-