母の日のケータイ

初夏の神田明神の祭り日なのに、サムッ!
徳川時代の江戸市中では初夏に祭りが行われました。
同じ時代に鷹狩り場だった東京も目黒は、昔は郊外で、
刈り入れが済んだ後の秋祭りです。
母の日の気温としても記録的ではないのでしょうか?
ウールを2枚重ねて着てきたと、いつものしみにくいヘアカラーの女性客様。
染着タイムにはいつもの様に、フェイス・エステ。

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母の日で思い出すのは、携帯電話がまだまだ出始めの珍しい頃、
車で姉の家に向う途中、戦前・戦中を越えてきた母は、
チョットした食べ物に、飲み物を紙袋に入れて、車に持ち込むのが常でした。
渋滞にはまり、信号待ちで、ガサゴソと袋の中に手を入れると、
電話の子機があるではありませんか?

「この頃、外で電話している人がいるので持って来た」と、
真面目にスマシテ言うのです。

可笑しくて・オカシクテ、渋滞のイライラもどこへやら。

姉の家について試しましたが、もちろん通じません。

そんな携帯電話も、今やデーター通信主流のケータイとなり、
弊店でもその情報をもとにご来店いただく時代です。